「サジを置く、という選択もある」

悪いやつになる

さっき、あるコーチング講師さんの投稿が目に留まりました。

「決めたら、そうなる」

その言葉には、なるほどと思う部分もあって。

こうも書かれていました。

>決めてる人は、望む未来のために何でもやる。

決めてない人は、やりたいことしかやらない。

嫌なことは「やらない言い訳」をする。

たとえば…

「富士山に登りたい」と言いながら、

「坂道はイヤ」と言っているようなものだと。

・・

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これって、同業の方なら「うんうん」とうなずく、あるある話かもしれません。

そして、わたしも経験があります。

「サジを投げたくなった瞬間」も、「あえてサジを置くと決めて、置いた日」も、ありました。

特に、過去に『誰かの価値観』でガッチガチに縛られてきた人。

がんじがらめにされてきた人。

自分の意思よりも「従うこと」が正しかった人にとっては、

「自分で決めて動く」ということ自体が、

とても勇気のいることだと、わたし自身も経験者なので知っています。

それでも・・

やっぱり最初の一歩は、「自分がどうしたいか」を、自分で決めること。

いまの場所に居続けたいのか。

それとも、抜け出したいのか。

それを選ぶのは、他の誰でもない、自分自身です

そこからしか、始めようがないのです。

「自分で決めた」と言いながら、

その先の一歩をずっと踏み出さない人もいます。

行動するということは、

『誰かの期待に応えるため』ではなく、

『誰かの支配から離れるため』の、自立の一歩です。

これまでのカウンセリングの中でも、

「それはやりたくない」と強く反発されたこともありました。

知識だけでなんとかしたい。

できれば感情には触れたくない。

変化のための行動は強制されているように感じてしまう。

そんな気持ちも、たくさん見てきました。

けれど──

そうした方々が、その後も共通して口にされるのが、

「それでも、やっぱりわたしは変わりたいんです」

という言葉です。

でもそれは、

《本当に変わりたい》というよりも、

「変わりたいと思い続けている自分」でいることによって、

“まだ人生を諦めていない”という幻想を保ちたいのかもしれません。

(ごめんね、厳しめで!)

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自分の人生を、人任せにしてしまいたくなる。

でも、人に決められるのはイヤ。

このジレンマの中で、もがいている方も多いです。

そうした方に、わたしは強制をすることはできません。

だからこそわたしは、

「そんなに嫌なら、やらなくていいよ」と伝えることもあります。

この言葉には、2つの意味があります。

1つは、「焦らなくていい、いったん休もう」の止まり木として。

もう1つは、「この船を降りるかどうかは、あなたの意思で決めていいよ」という、サジを置く選択として。

何が悪いわけでも、誰かを責めたいわけでもありません。

ただ、

「本気で変わりたい」ならば、

『変わるためのプロセス』にも、自分から足を踏み出してほしいのです。

もし、

お金を払って『本気を出すふり』をして、

「やっぱり私は変われない」と証明するために動こうとしているのなら・・

その方には、わたしは最初から「お受けしません」とお伝えしています。

少しきつい言い方に聞こえるかもしれませんが、

それは、自分を守りながら変わらないままでいることを選んでいるだけ。

本当は変わりたいのではなく、

「今のままの自分でいたい」気持ちが根強くあるのかもしれません。

人というのは、変わることで手放してしまうメリットがあると、目の前に、別の選択肢があっても手に取らないのですよ。

だからこそ!

《本気で変わる》って、そんなに簡単なことじゃないって、わたしも当事者側で経験した上で知っています。

自分を大切にするって、

子どものままでいたかった自分と向き合って、

大人の自分として、人生の舵をとるということだから。

(大人=自分で決めて、自分で動く覚悟があるの意味ね)

そんな覚悟をもって、わたしのもとに来てくれる方には、

心から寄り添い、伴走していきたいと思っています。

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